真夜中の人間模様
斉藤食材店

 深夜1時、閉まりかけたシャッターの下をくぐるようにして、ジャージ姿の女が店に駆け込んできた。スタンドも下ろさずに横倒しにされた自転車の後輪が、店先で回り続けている。

 「すいません。すぐ買って帰りますから」

 肩で息をしている女に、店主の斉藤範明さんが優しく話しかけた。

 「いいんだよ。納得できるものを、ゆっくり選びなよ」

 紅潮した女の頬には、涙の跡が残っていた。とうに終電の時間は過ぎている。寂しさに耐えられなくなり、泣きながら自転車を何キロも漕いできたのかもしれない。

 10分後、女は両手で抱えるように、選んだ商品をレジ前の台に置いた。決心の強さに比例するような大きな音がした。タバスコ1ガロンボトル入り、6000円。通常の小瓶入りタバスコの60倍以上の量だ。

 斉藤さんは代金を受け取ると、客の代わりに商品を抱え、自転車を起こし、買い物カゴにそっと入れた。

「帰り道、気をつけなよ。辛いことがあったら、またおいで」

 涙の跡はそのままに、女は笑顔を浮かべ、小さな声で「ウン」と答えてから、勢いよくペダルを漕いで夜の街へと消えていった。

* * *

 斉藤食材店――業務用食材を専門に取り扱うこの店を斉藤さんの父が開いたのは、昭和42年のことだった。当時、このあたりには中小、零細の工場が途切れることなく軒を並べていた。たくさんの労働者が住み込みで働いていて、彼らが空腹を満たす安い食堂もたくさんあり、店は繁盛した。店舗の奧にある広さ4畳半程度の事務室の壁では、一緒にハワイを訪れた斉藤さんの一家4人と3人の従業員の色あせた写真が、額縁に収まっている。

 7人が最初で最後の社員海外旅行に出かけた昭和54年が、斉藤食材店の絶頂期だった。その後、近所の工場は市が郊外に造成した工業団地に次々と移転していき、跡地には「管理地」の看板と鉄パイプの囲いだけが残された。ちょうど同じころ、東京の大手がこのまちに進出して、斉藤食材店の仕入れ値よりも安い販売価格を武器に長年の得意先を奪っていった。

 年号が平成に代わるころ、2代目として商売を継いだ斉藤さんは「業務用食材」の看板の上に、同じ大きさで「個人客歓迎」という看板を付け足した。空き地を埋めるように建てられたマンションは共働き世帯が多く、買い物は週に1~2回。斉藤食材店は大量の食材を安く買える店として息を吹き返した。ヨーロッパやアジアの業務用食材も仕入れて、「玄人の店」の雰囲気を強調したことも、グルメを自認する若い夫婦に受けた。高度経済成長期のような大儲けはできなかったが、2人の息子を育て、大学を卒業させるのに十分な収入を得ることはできた。

* * *

 忙しいが満ち足りた生活は、突然終わった。

「年金もあるしね。この土地を売れば、贅沢はできないかもしれないが、おまえの故郷の徳島で小さな家でも買って、のんびり暮らせるんじゃないか。そう切り出そうかどうか、迷っていたときだったんですよ。言えば喜んでくれたのかなぁ」と、斉藤さんは唇をかむ。

 家庭でも店でも斉藤さんをよく支えてくれた妻は、3年前に心筋梗塞に倒れ、59歳で帰らぬ人となった。店と、予定の描けない未来だけが斉藤さんに残された。

 店をやっていてもしょうがない。かといって、店を畳んでもやることがない。抜け殻のようになりながら、惰性で店を営んでいた斉藤さんはある日、いつのまにか客層が変わっていることに気がついた。それまでの主婦や飲食店の関係者に代わって、若い女が主流になっていた。大口の食材とは縁のなさそうな人たちばかりだ。しかも、その多くは沈痛な表情を浮かべながら店に入ってくる。品定めをしながら、突然しゃがみこんで嗚咽を漏らしはじめる人もいた。それなのに、大きな商品を抱えてレジに並ぶときの表情は晴れ晴れとしていた。

 長い間、客に明るく挨拶はしても、自分から客の私生活には足を踏み入れないという主義を守ってきた斉藤さんだが、小柄な女性が冷凍餃子500個入り1箱(1万2500円)を購入したときには、質問をどうにも我慢できなかった。

「なにがどうなっているんですか?」

「ブログで読んだんです」

「ブログってなんなの?」

* * *

 「セイ子のカフェオレ」と名付けられたブログで、ブームの火付け役となったその書き込みをいまも読むことができる。

 その直前までブログは幸せの言葉で満たされていた。少女のころから描いていた理想にぴったりあてはまる男との出会い、初めてのデート、男からのクリスマス・プレゼント、旅行、同棲。「おいしいね」の一言が聞きたくて、手作りのスウィーツによく合うカナダ産のメープルシロップを探し求めて、店から店へと訪ね歩いたこと。高級輸入食品の専門店でようやく見つけたこと。小走りしてレジに並ぶと、翌日の夜にスウィーツを食べてくれるはずの男がいたこと。自分がクリスマスにもらったのと同じヴィトンのバッグを持った女の腰に、男が腕を回していたこと……。

「ああ、もう全部終わりだって。恐怖とか恨みとか、なんにも感じなかった。ただ死にたいって、それだけ。どこをどう歩いたのかぜんぜん覚えてないけど、気がついたら業務用の食材を売っている店の前にいた。わたしは子どものころから、強いピーナッツアレルギーで、気がつかずに友だちの家でたくさんピーナッツバター食べて、ほんとに死にかけたことがあったから、1キロとか2キロとか、一度にたくさんのピーナッツバターを食べれば、簡単に死ねるってわかってた。

「店に入ったら、寂しそうなおじさんがひとりで店番してた。ピーナッツバターの大きいのありますかって聞いたら、奧の棚の一番上にありますっていうから、そっちに歩いていったら、隣の棚に私がついさっきまで探してたのと同じメープルシロップがあったんだ。わたしが必死になって探してたのは食卓のしょう油瓶くらいのサイズだったけど、そこには同じメーカーの5リットルペットボトル入りのメープルシロップが、何本も並んでた。

「笑っちゃった。メープルシロップって、なんとなく小ビンのイメージがあるから、意表を突かれたって感じ。あんなに探してもなかなか見つからなかったものが、こんなに堂々と並んでいるのも意外だった。見回したら、青のりとか、納豆のタレとか、七味とうがらしとか、粒マスタードとか、全部とんでもないサイズだった。あたりまえだよね。業務用なんだから。

「そしたらなんだか、自分がいまどういう場所にいるのか、ちょっと冷静に考えられるようになったんだ。男には裏切られたけど、たくさんの友だちや家族や同僚はわたしに優しいし、わたしの価値が変わったわけでもないんだって。理想の男だと思ったけど、わたしの一生をめちゃくちゃにさせるほどの価値はないんだ。

「メープルシロップを5リットル買って帰った。テーブルの真中において眺めているだけで、甘くて香ばしい液体が、ココロに開いた大きな穴を満たしてくれるような気がしたんだ」

* * *

 このブログに共感を覚えた多くの読者がコメントを寄せた。複数の掲示板やニュースサイトでも取り上げられ、ネットの世界で斉藤食材店は「大ロットの食材で心を癒せる聖地」として有名になり、心に痛手を負った女たちが集まるようになった。

 客層の変化の理由を知らされた斉藤さんだが、営業時間を午後3時から深夜3時までに変更した以外は、とくに商売の方法を変えたわけではない。客のほうから相談されなければ、悩みの理由を尋ねたりはしない。

 だが、店に入ってきたときの伏目がちな様子が出会ったころの妻に似ていたからなのか、3週間ほど前から何度か姿を見せている長い髪の女が再びやってきた夜、斉藤さんは少しルールを変えた。醤油コーナーに立ち尽くし、小刻みに肩をふるわせる女の背中に向かって話しかけた。

「たしか、先週の金曜も来てたよね」

 急な問いかけに一瞬驚いた女は、その拍子に涙の堰が決壊したかのように、その場にへたりこんで泣き出した。斉藤さんは、なにも言わずしゃがみ込み、女が泣くのを見守った。10分後、しゃくりあげながら女が涙の理由を打ち上け始めた。

「その人、会社の上司だったんです。転勤で2年前に新潟に行っちゃったけど、金曜の夜は戻ってきてくれて、私がご飯を作って食べさせてあげたのに。『新潟で好きな人できたから、もう終わりにしよう』なんて。高血圧を気にしてたから、できるだけ薄味にしてあげたのに。こんな風にふられるってわかっていたら……」

 斉藤さんは何も言わず、女の目の前に陳列されている「業務用濃口醤油」の一斗缶を指さした。

 午前2時。さきほどまでの泣き顔が嘘のように、笑顔さえ浮かべた女は、一斗缶を3つ車に積み込んだ。斉藤さんに向かって手を振ってから、黄色い軽自動車に乗り込み、エンジンをかけた。

 煮物も照り焼きも炒め物も、これからはたっぷりと醤油をかければいい。寂しさに押しつぶされそうになる長い夜も、あの抱き枕があれば大丈夫だ。そして、いつかは濃口好みの新しい恋人を見つけてほしい。そう願いながら、斉藤さんは赤いテールランプと、車に入りきらずに窓から少しはみ出た、実物大ビンチョウマグロ型醤油チュルチュルの頭部が夜の街へと消えていくのを見送った。

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