はじめに、山川ありき

いま、歴史学者の間で一冊の本が注目を集めている。

それは、『社史』(山川出版社)。

「歴史の山川」として知られる業界の中堅、山川出版社は、高校生用の日本史、世界史の教科書や参考書の市場で圧倒的なシェアを誇っている。歴史を学んだ人なら、例外なく山川の書籍を手にしたことがあるはずだ。「山川の歴史教科書に載っていなければ、それは歴史ではない」と言い切る歴史学者さえいる。

その山川が近く、創立10万年を迎える。歴史を静かにみつめてきた山川の社史、それは人類の歴史でもある。世界中の歴史学者が注目するのは、むしろ当然といえるだろう。

いまから10万年前、地球上に登場したネアンデルタール人は、原始的な宗教を信仰するなど、それまでの原人と比べて極めて高度な知能をもっていたが、同時に自分たちの文化を記録し、子孫たちに伝える必要を強く感じていた。こうして設立されたのが山川出版社だ。

文字が発明されるまで、人類の歴史は山川の先輩社員から後輩社員への口述により代々伝承されてきた。しかしなかには、社内規則を無視して絵画で記録を残そうとした社員もいた。現在もフランス西南部にあるラスコーの洞窟で、そんなアウトロー社員の反抗の跡を目にすることができる。

やがて、エジプト、メソポタミア、インダス、黄河の各地方で高度な文明が誕生した。山川の社員は、権力者の先祖代々の功績を伝承する者として重用された。このうちエジプト支社の社員は、仕事中にパピルスに鳥の絵を落書きしているところを国王に発見されて、処刑されてしまった。しかし、この社員の苦しい言い訳がきっかけとなり、象形文字が発明された。

中国の朝廷でも、山川の社員は皇帝から歴史書の編纂を命じられた。例えば、中国支社長の司馬遷は全精力を傾けて『史記』を完成させたが、その内容が前漢・武帝の怒りを買い、宮刑に処されてしまった。山川の長い歴史のなかで、労災の適用を受けた社員は司馬遷が最初で最後だ。

このように、まさに波乱万丈の山川の歴史であるが、なかでも山川がその存在価値を問われたのは、日本の文部省が歴史教科書の内容を変更するよう命じたときである。山川は結局、文部省からの要求に屈する形で一部の要求を受け入れた。このときの苦い経験を教訓に山川が確立した企業倫理は、日本史、世界史と並ぶ山川のヒット作、「倫理・政経」に受け継がれている。

しかし東西陣営の冷戦が終結したいま、人類の歴史は一つの節目を迎えた。山川出版社が果たすべき役割も変わろうとしている。「社史」編纂と並行してまとめられた「社史学習ノート」の冒頭にはこうある。

「今後、社員諸君はどのような方向から歴史を記録したいか。400字以上500字以内で述べよ(句読点含む)。」

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