蠅取り紙をめぐる12人の証言

 「理由なんてなんにもねえよ。おもしろい。ストレス解消。それだけで十分だろ。高校? 3日で辞めたよ。母親? もう10年以上会ってねえんだよ。親戚の家をたらい回しされてるからな。家族なんていらねえ。オレにはバイクがあればそれでいいんだよ。あーだこーだうるせえなぁ。ばーか。ひとりで説教垂れてろ。オレはもう行くからな」(18歳の少年、池辺康則さん=仮名=)

「いやあもう、先祖代々とはいえ大変な仕事を継いでしまったと、毎日痛感しております。サトウキビの絞り汁を煮詰めて煮詰めて、ほかの職人さんならもうこれで十分というところを、さらにもう一度煮詰めるんですから。作業小屋のなかは50℃近くあります。ぬぐってもぬぐっても汗が流れて、作業を終えると3キロは痩せます。本当に大変で。しかも、人様に食べてもらうための砂糖じゃないんだから。やめたいと思ったことは何度もありますよ。でも、終わったあとのビールが格別でね、その瞬間に明日もまたがんばろうと思うんだなぁ」(奄美大島のサトウキビ農家、大井孝典さん)

「殺虫剤というのはいかにもアメリカ人の合理主義的な発想で、害虫はじゃまだから殺してしまえばいいという考え方。効率がいいように聞こえるけれど、いろんな欠点があるんです。虫の死骸はどうなるのか、殺虫剤が私たち人間や益虫にどう作用するのか。長い目でみれば、害虫だけを捕まえて、有害成分をまき散らさない蝿取り紙のほうが効率的ですよ」(群馬農大准教授、桜井由利さん)

「今日は穏やかに見えるけどね、シケの日の海はすごいよ。真夜中に、波が岸にうちつける音がドーン、ドーンと聞こえてくる。子どものころはそれが怖くて、夜には便所に行けなかったね。年老いたトドが岸に打ち上げられていることもあるんだよ。全身の骨が粉々に砕けてるんだ。でもね、利尻の昆布が強いのは、荒れた海のおかげさ。波にもまれてちぎれなかった強靭な昆布だけが残るんだ。昔は漁網の引き綱だって昆布をよって作ってたんだから」(北海道利尻島の昆布漁師、高田 靖さん)

「市民の声はわかりますよ。暴走族を捕まえたいのは私たちも同じ。でも、それには安全な方法を使わなければならない。ケガしたって死んだっていいから、とにかく彼らを捕まえろというのは無理な相談です。マスコミにどんなに叩かれてもこの一点は譲れません。暴走族を確実、安全に確保する方法? そんなのがあれば、私のほうが教えてもらいたいですよ」(警察庁広報室長、竹内友二さん)

「とんでもない。当店のお客様は舌の肥えた方ばかりですから、殺虫スプレーなんて使えません。匂いが料理にうつって、まずくなります。うちは明治12年にここで創業したときから、神田の丸粘堂さんの蝿取り紙を使わせてもらってます。ここだけの話、ほかの業者さんのを試したこともあるんですが、すぐ丸粘堂さんに戻しました。虫の食いつきが違うんです。虫の触角1本さえも落ちてきませんしね。魚屋や八百屋、肉屋は沢山ありますから取り替えがきくけれど、いい蝿取り紙を作ってるのはもう丸粘堂さんだけですから。ご主人には、あんたが店を畳むのなら早めに連絡してくれって言ってます。そんときはうちも畳むときですから」(東京築地の料亭・科屋の主人、戸川馨さん)

「えー、記者会見をそろそろ始めますがいいですか? 本日午前2時17分頃、環状7号線の中山道交差点付近を時速140キロ以上で走行していた自動二輪1台を捕捉し、運転していた17歳の少年を危険運転罪の現行犯で逮捕しました。少年にケガはありません。車両および運転者の確保には宇宙開発事業団からテストを委託された新機材を初めて使用しました。まだ少年から事情聴取を行える状態にはなっておりません。いえ、先ほども言いましたが、少年にケガはありません。意識もはっきりしています。危険運転の容疑者を確実かつ安全に確保できるこの機材を今後も積極的に活用していきたいと考えております。いまのところ発表できる情報はこれだけです」(警視庁板橋署長、長崎真行さん))

「放せ。なんだよこのベトベトは。放せよ。ちくしょう。身動きがとれねぇ。そこでつっ立ってないで、どうにかしてくれよ」(池辺康則さん=仮名=)

「戦時中に8代目、ということは私の祖父にあたる人が、こんなことを言っていたと、人づてに聞いたことがあるんです。大空襲の翌朝、焼け野原で空を見上げて『おれをB-29と同じ高度まで連れてってくれたら、1機残らずこの蝿取り紙で捕まえてやるのに』。周囲の人は空襲のせいで8代目の頭がどうかしたのか、大変な時期に大風呂敷を広げる人だと思ったかもしれません。でも、8代目にはそれなりの勝算があったんですよ。このプロジェクトのお話をいただいたときには不安もありましたが、職人冥利に尽きますね」(神田丸粘堂10代目主人、堀田 喬さん)

「これまでに打ち上げられた人工衛星が約4000個。いまも4500トン以上の人工物が地球の周囲を回っています。監視が必要なサイズのものだけでも9000個ですよ。このまま何も対策を高じなければ、宇宙空間を漂うゴミ同士が衝突していくつものかけらに分離し、再びほかのかけらと衝突し、収集がつかなくなるんです。宇宙開発を進めるうえで非常に深刻な問題です。みんなが思い思いの方向に、毎秒5キロですべっているスケートリンクがあると想像してみてください。私ならリンクサイドで見学するだけにしますよ」(米NASAスペースデブリ対策部門マネージャー、ジョン・ペリーさん)

「あいつ、『ちょっと買物してくるからね』て言ったんだよ。なんか普通と違うって感じた俺が泣いてすがっても、『すぐ戻るから』って、俺を置いて出ていったんだよ。それから10年だぞ。10年間、俺が気持ちで待ってたと思うんだ。運動会や参観日、入学式や卒業式がどれだけ辛かった知ってるか。いまごろになって母親面するなってことだよ」(池辺康則さん=仮名=)

「数千億円がかかるプロジェクトですから、最初からフルスケールで作るのはリスクが大きすぎる。まずは小さな規模で実験して問題点を浮き彫りにし、改良する。一通り解決したら、少し大きな規模で試作する。その繰り返しです。ええ、この高速ハエ射出機も性能評価試験で使用したものですよ。ピッチングマシンを改良しましてね。結果ですか? 上々でしたよ。時速120キロから初めて、130キロ、150キロ、最終的には180キロまで加速しましたが、1匹のエラーもなくハエを捕捉することができました。次の段階では、もっと大きな運動エネルギーをもつ物体の捕捉実験を行いました。ええ、いまどき暴走族なんて流行りませんからね。実験が成立しないのではないかと心配する声もありましたが、私たちにとり幸運なことに暴走行為を繰り返す少年が1人いたために、予想以上に豊富なデータを集めることができました」(宇宙航空研究開発機構プロジェクト・モウセンゴケ推進室長、今田 仁氏)

「別れた日から一度だって、息子のことを思わなかった日はありませんでした。でも、私だって生きるのに必死だったんです。息子が警察のお世話になっていると聞いて、いても立ってもいられずに駆けつけました。あの子がこの10年間、どんな気持ちでいたのかを考えれば、許してちょうだいなんて言えた義理じゃありません。でも、自分勝手な言い分だとはわかっていますけれど、あの子とこうして一緒に暮らしていることが、私にとって一番の、いえ、唯一の幸せなんです」(池辺康則さんの母親、真理子さん=いずれも仮名=)

「動けねえんだよ。いい加減にしてくれよ。ちくしょう。ちくしょう。ちくしょう……」(池辺康則さん=仮名=)

「車でいえばロールスロイス、バイオリンならストラディバリウス、ハムならプロシュット・ディ・パルマ。元禄のころから製法を変えていない丸粘堂の蠅取り紙は、それ以上の高級ブランドです。粘着力だけをみれば安価な輸入品のほうが優れていますが、丸粘堂のはくっつきかたに気品がある。「グチャッ」ではなく「スッ」。しかも取りこぼしがない。あの絶妙なフィーリングは、合成接着剤ではなく、北の海でもまれた強靭な昆布の上に、南の島の強い陽光に育まれた黒糖の溶液をうすく塗ることではじめて可能になります。え? 蠅に生まれ変わったらですか? 丸粘堂の蠅取り紙の上で死ねるのなら本望ですよ。ほら、顕微鏡でこの蠅の顔を見てください。複眼のひとつひとつが、笑っているでしょう?」(蠅取り紙に詳しい伝統文化評論家 柴田悦子氏)

「丸粘堂さんのご厚意で私たち親子を雇っていただいて、生活のメドも立ちましたし。これからは地道に2人で生きていくつもりです。あの子ですか? いまも時々、深夜に家を飛び出そうとするんですけれど、そのときは丸粘堂さんのご主人から頂いた特大蠅取り紙でバイクごとつかまえてやります。あの子、少しは私に心を開いてくれたのかもしれません。私をさんざん罵るんですけど、目が少し笑ってるんですよ」(池辺真理子さん=仮名=)

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