手品用のハト、都会で広げる棲息域

東京北部、板橋区の山塚公園。週末ともなると近くの都営団地から、老人や親子連れが散歩に訪れる。陽射しが暖かな午後には、多くの人がベンチに座って読書や仲間との会話に興じる。足元には地面のえさをついばむ数十匹のハトの群れ。どこにでもある公園の風景だ。

公園の一角に鬱蒼とした森がある。枝や雑草をかき分けるようにして進むと、地面から約3メートルほどの高さにハトの巣があった。ほかの鳥の巣と同様、わらや小枝を編むようにして作ってあるが、特徴はその形状。円筒の片方が平らな底でふさがれ、もう一方は周囲に縁がついている。まるでシルクハットのようだ。

同行してくれた埼玉大学農学部の四津方樹生教授が説明する。

「このような形の巣を作るのがテジナバトの最大の特徴です。シルクハットの中に隠れていた個体の子孫だから本能的にこうなるのではなく、もともとこういう形の巣の中に隠れていると落ち着く習性があったから、世界中の手品師に利用されたんですね」

長い棒の先端に取り付けた小型テレビカメラで巣の中をのぞきこむと、シルクハットの中には巣立ち間近と思われる幼鳥がいた。あと1週間もすれば幼鳥は親元を離れ、都内のハトに占めるテジナバトの比率がまた高まることになる。

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 いま、日本のハト事情が変わりつつある。かつて日本の都市部で見かけるハトといえばカワラバトがほとんどだったが、近年はテジナバトの比率が徐々に上昇。四津方教授によれば、全身が白でやや小柄な個体はほぼ100%がテジナバトだという。

原産地は、中国と並ぶ手品の発祥地、エジプト。王家の谷の石窟墓の壁にヒエログリフで残された歴史書は、ファラオの権威や神秘性を高めるために御用手品師がテジナバトの習性を巧みに利用したことと、当時から手品師のアシスタントが網タイツ状のものを履いていたことを今に伝えている。その後、手品の伝播とともにテジナバトは世界中に広がり、未熟な手品師の手から逃れた個体が野生化した。

そしていま、テジナバトの増加がほかのハトの生態や環境全体に少しずつ影響を及ぼすようになっている。「事態が深刻化する前に、対策を講じるべきです」(四津方教授)

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 2月下旬に千葉・青森間で開かれた長距離ハトレース。3位、2位がいずれも10時間3分台だったのに対し、1位でゴールインしたハトは3時間2分。新幹線よりも速い驚異的なタイムだ。数百年をかけて品種改良されたレース用のハトは、がっちりした骨格、大きな羽が特徴だが、このレースに勝ったハトは華奢で全身が白かった。

大会事務局長の鱒沢和夫さんは、首をひねる。

「途中で姿を消し、数百キロを瞬間移動して、また姿を現した。そんなお伽話のような現象が起きなければ不可能なタイムなんですよ……。あっ!」

鱒沢さんの頭にある可能性が浮かんだ。

「ひょっとすると、あれはテジナバトだったのかな」

レースに出場するハトは、小箱の中に入れられてトラックでスタート地点まで運ばれる。所定の時間が来たら、すべての小箱に取り付けられた扉が一斉に開いてハトが飛び立ち、ゴールの方向に向けて飛んで行く。優勝したハトが他のハトと一緒にスタートしたのであれば、それこそ魔法を使わない限り3時間2分で青森から千葉まで帰ってくることはできない。

しかし、レースに参加したハトは600匹以上。スタート時にすべてが小箱の中に入っているかどうかを確認するのは不可能だ。

「輸送途中で密かに小箱のなかから、あのハトだけ抜け出していたとすれば、驚異的なタイムの説明がつく……」

そして鱒沢さんは、飼い主から引き渡されたさい、問題のハトが鉄の鎖で全身を幾重にも巻かれ、南京錠まで取り付けられた状態で小箱の中に入れられていたのを思い出した。その瞬間、疑問は強い確信に変わった。

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 四津方教授の語る「テジナバト増加の証拠」を観察するため、懐中電灯を頼りに、深夜2時に山塚公園の森の中に戻った。

「クルックックックックゥ」

私たちの気配に気がついたのか、仲間に警戒を呼びかけるかのように、群れのうちの1匹が鳴いた。

「クルックックックックゥククゥ」

それに応えるかのように、別の木から鳴き声が聞こえた。

「クルックックックックゥククゥククゥークゥー」

数匹のハトが合唱するかのように鳴く。短時間の無音状態を経て、そして最初の警戒音へ。

「クルックックックックゥ」

四津方教授がヘルメットに取り付けたライトで楽譜を照らす。ハトの群れの鳴き声は寸分の狂いもなく、1970年代にポール・ポーリアが大ヒットさせた、甘く情熱的なあの旋律を奏でていた。

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