NHK歪める政治圧力

 寿永3年2月7日。足がすくむような崖の上から、源義経が平家軍を見下ろしている。のちに「一ノ谷の戦い」として歴史に刻まれることになるこの出来事が、源氏・平家、そして日本の歩む道を変えると、当の義経が意識していたかどうか――。

 一方、義経を演じるタッキーこと滝沢秀明には、わかっていた。1年間にわたる大河ドラマの命運は、初回に放送されるこのシーンが、視聴者の心をつかむことができるかどうかにかかっている。「ボクが、単なる顔がかわいいアイドルから、本格的な俳優に変身できるかどうかも、この大河ドラマの出来次第だ」。演出家に指示されるまでもなく、タッキーの表情は自然と引き締まった。

 が、タッキーの乗る馬の足元に並ぶ足軽たちからは、生死をかけた戦いに臨む者の心を包んでいるはずの緊張感が伝わってこない。事前にADが口を酸っぱくして注意したにも関わらず、隣の人と談笑したり、カメラのレンズを見据える者がいる。

 演出家は舌打ちしながら、ロケの数日前、プロデューサーと交わした会話を思い出していた。

「頼むよ。画面の片隅に少しだけ映っていればそれでいいから。『出さなかったら、国会で予算通さない』ってセンセイが息巻いているらしいんだよ」

 一ノ谷の戦いのロケが行われたのは茨城県の高萩海岸。この地域から選出されている自民党の代議士が、後援会の関係者をエキストラで使うよう、ねじこんだらしい。「地元をあげてロケに協力してるんだ。それくらいいいだろう」。はねつければ、郵政族で放送行政にもうるさい代議士が、NHKの予算に難癖をつける可能性は十分にあった。

 当初は起用を強く拒否していた演出家も、最終的にはプロデューサーの言うとおりにせざるを得なかった。まあいい。どのみちエキストラたちは、画面に小さくしか写らない。視聴者は、義経の背後で右往左往する足軽など気にしないはずだ……。

 演出家は、「義経」の初回が放送されたあと、代議士の後援会が大型テレビを囲んで酒宴を開いたことを知らない。地上波ではぼやけていたが、ハイビジョン放送の画面の片隅には、エキストラがカメラに向かって突き出したVサインが小さく映っていた。その夜、問題のシーンはDVDで数十回にわたり繰り返し再生され、800年以上前、一の谷で平家の軍勢を蹴散らした源氏勢にも劣らない喚声が、そのたびに上がった。

* * *

 大相撲初場所は、横綱・朝青龍が初日から大関以下ほかの力士をまったく寄せ付けず、初日から危なげない内容で白星を重ね、13日目には早々と10度目の優勝を決めた。

 その翌日から、テレビ中継の「主役」が変わった。NHKのアナウンサーは、関脇栃東が10勝目を挙げ、2度目の大関返り咲きを果たしたことを繰り返し紹介した。花を添えたのは14日目でようやく勝ち越してカド番を脱した大関千代大海。強すぎる外国人横綱は、もはや脇役程度の存在でしかない。

 大相撲中継担当のチーフプロデューサーに、2人の自民党代議士から前後して電話がかかってきたのは、「この場所も朝青龍には誰もかなわない」との空気が、日本相撲協会やさじき席に広がった10日目の夜のことだった。関係者は、外国人力士を紹介する時間を増やし、日本人力士の説明に力を入れるよう強く要求されたと口をそろえる。

 代議士のうち1人は、こう説明する。

 「偏っている中継内容と知るに至り、NHKから話を聞いた。中立的な立場で中継されなければならないのであり、反対側の力士も当然、紹介しなければいけない。時間的な配分も中立性が保たれなければいけないと考えている、ということを申し上げた。NHK側も、中立な立場での中継を心がけていると考えている、ということだった。国会議員として当然、言うべき意見を言ったと思っている。政治的圧力をかけたこととは違う」

 もう一人の代議士の姿勢は、さらに強硬だ。

「何をやろうと勝手だが、その偏向した内容を公共放送のNHKが流すのは、放送法上の公正の面から言ってもおかしい。NHKは教育テレビでやりますからとか、あそこを直します、ここを直しますから、やりたいと。それで『だめだ』と」

 二人は、外国人力士の台頭に焦燥感をつのらせる「日本の前途と大相撲を考える若手議員の会」の幹部。二人の説明はその後、二転三転しているが、あるNHKの幹部は匿名を条件に、「政治家からのプレッシャーは、全盛期の武蔵丸のツッパリに匹敵するものがある」と証言する。

* * *

 夜6時45分。7時のニュースの開始を15分後に控えたNHK放送センターのスタジオは、いつもと違う緊張感に包まれていた。

「そんなこと、できるわけがないじゃないですか」

 放送中のソフトな口ぶりとは打って変わって、その女性気象予報士の声は怒りのあまり上ずっていた。

「そこをなんとか。宮崎県、いや宮崎市の周辺だけでいいんだ。晴れとは言わない。なんとか曇りにしてもらえないだろうか」

 強力な低気圧の接近の影響で、九州の明日昼ごろの天気は、大荒れになる可能性が高い。降雨確率は100%。それを曇りにしてくれと、放送総局長がいまにも土下座しそうな情けない顔つきで、自分の娘よりも若い予報士に頼んでいるのだ。

「どうしてなんですか? まず、その理由を教えてください」

「そ、それは……」

 明日の午後1時から、宮崎県内で自民党の有力代議士の後援会が、支持者と家族を開いてイモ掘り会を開く。万一、雨になれば求心力が低下しかねない。それでなくても、前回の総選挙では民主党の無名の新人に、数百票差のところまで追い込まれたのだ。「だから、明日はなんとしても晴れでないと困るんだよ。予算のほうはこっちでなんとかするから、よろしく頼むよ」とだけ言って、その代議士は携帯電話を切ったと、放送総局長には言えるはずもなかった。

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