つかめ! ケータイすそ野ニーズ

 東京、秋葉原の家電量販店。1階の歩道に面した携帯電話売り場に見慣れない黒い布が陳列されている。「ケータイ用かぶり布」――カメラ・アクセサリー・メーカーのエツミが先月末に発売した新製品だ。販売状況の視察に来た開発部長の大滝孝治氏が説明してくれた。

「携帯電話のカメラはどんどん性能が良くなっているのに、背後から光があたっていると液晶画面がよく見えず、狙い通りの写真が撮れません。そんなときにはこのかぶり布の中に入り、小さな穴から携帯のレンズ部分だけ外に出せば、光を遮断して構図やピント、露出をゆっくり確認することができるんです」

 かつて、プロの写真屋にとってはこのかぶり布が必須の商売道具だった。たとえば修学旅行の記念写真。教員や生徒に立ち位置、視線を細かく指示し、準備が整ったところでかぶり布の中に顔を隠してピントや露出を調整してシャッターを押した。かぶり布の内部は、高度な撮影技術が駆使されるプロの世界だった。

 その後、撮影器材の技術進歩の結果、かぶり布を見かける機会は減った。状況が変わったのは、携帯電話に搭載されるデジタルカメラが急速に高度化したためだ。「写メール」の画質にこだわるマニアックなユーザー層が生まれ、より理想的な条件での撮影を可能にする昔ながらの道具に関心が集った。

 「夏の太陽の下では、1分かぶっているだけで汗だくになるかも。そういう苦労も、マニア心をくすぐるものだと思っています」(大滝氏)

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 外国の調査会社の調べによれば、2004年の携帯電話端末出荷台数は約6億6000万台に達した。単純な会話の媒体だったころ、世の中にそれまでは存在しなかった新たなニーズを創出していた携帯電話は、やがて、小さな機器のなかに豊富な機能を搭載することで、長い間それぞれの分野で既存の専門機器が満たしていたニーズを取り込んでいくことになる。

 最初に餌食になったのは、腕時計だった。携帯電話が常時、液晶ディスプレイの片隅に時刻を表示するようになると、現代社会に生きる者なら必ず持っていなければならなかった腕時計が、「持っていても持ってもいなくてもいいモノ」に格下げされ、出荷量は大幅に減少した。いまでは多くのサラリーマンが時刻を確認するさい、袖のなかから手首を出さず、ポケットから携帯電話を取り出す。

 「第二の腕時計メーカーになるかもしれない」。そんな危機感が、産業界の幅広い分野に広がっている。巨大な携帯電話市場に飲み込まれてユーザーを失わないためには、どうすればいいのか。メーカーの模索する道はさまざまだ。冒頭で紹介したエツミは、カメラが携帯電話の一部になるという時代の流れは変えられないと判断して、高度化した一部のデジカメ携帯ユーザーに照準を当てた商品を世に出した。その一方で、斬新な組み合わせで携帯電話端末メーカーに先制攻撃をしかけるメーカーもある。

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 神戸市内を高台から見下ろす位置に立つ慈恩会播磨灘記念病院。ビルの8階にある人工透析ルームには、14台のベッドが並ぶ。腎臓病などの患者が身を横たえ、血液中の老廃物を腎臓の代わりに機械が濾しとってくれるのを待っている。

 病室内に「ピピピ」という着信音が鳴り響いた。ほかの病院と同様、播磨灘記念病院でも携帯電話使用は禁止されている。男性の患者が透析を続けたまま、人工透析機器を持ち上げて耳に寄せた。

「うん。いま、病院に来てるんだよ。夕食はうちに帰って食べるからね」

 隣のベッドでは、別の女性患者がもう20分も電話で世間話を続けている。スーツ姿で人工透析機器に向かって株式売買を指示しているのは、証券会社の社員らしい。

 医療機器を誤作動させるおそれのある携帯電話を病院内で使ってはいけないという「常識」が、医療機器の総合メーカー、ニプロが人工透析器付き携帯電話を開発する出発点になった。

「それでもこっそりとケータイを使っている患者さんはいるものです。腎臓はともかく、もうケータイなしでは生きられないという人もいるし……。携帯電話機器メーカーが人工透析機能をもたせた機種を開発するのは時間の問題です。それならいっそのこと当社でそういう商品を作ってみようということになったんですよ」(研究開発チーム主査 和田智之氏)

 ニプロの人工透析器付き携帯電話は、電磁波を通さないシールドで透析器ユニットを包み込んでいるため、透析の誤動作を心配することなく、存分に長電話することが可能。患者からは退屈な透析時間が楽しくなったといった感謝の手紙が多数寄せられている。ニプロの成功に触発され、医療機器業界では耳鼻咽喉科治療ユニット付き携帯電話、大腸用内視鏡付き携帯電話、生命維持装置付き携帯電話の開発競争が繰り広げられている。この春にはレーザーメス付き携帯電話も登場する見通しで、患者だけでなく医者をターゲットにした新型機種の開発が一気に加速しそうだ。

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 台所用洗浄機器の老舗、亀の子束子(たわし)では、2003年春、本間正二朗取締役が新製品の開発プランを見て、部下たちを一喝した。

「これではだめだ。やり直せ」

 そのイメージスケッチには、本間氏が赤いマジックで走り書きした「NG」の字が残る。アンテナ部分に、長さ2センチ、直径1センチほどのたわしを装着した「たわし機能付き携帯電話」。ある通信機器メーカーの提案に、亀の子束子が乗ったかたちだ。

「見た途端にぞっとしましたね。うちが作るたわしユニットは、デジカメやラジオ、MP3プレーヤーと並ぶ機能の一つに過ぎない。これでは無数のトゲでチクチクと存在感をアピールしても、いつかは埋没してしまいます」と、本間氏は当時抱いた危機感を回想する。

 それから約2年。亀の子束子が社運をかけて開発した新製品「携帯電話付き亀の子たわし」が、この3月にも発売される。たわし性能はビビンバ用石鍋の洗浄に使えるほど本格的だ。一見、柄のように見える部分が防水型携帯電話ユニット。ボタンも液晶画面も小さく、携帯電話としての存在感はかなり薄い。「たわしとしても使える携帯電話」ではなく、「携帯電話としても使えるたわし」。従来の青写真と比較すれば、主役と脇役が完全に交代している。

 亀の子束子は、携帯電話だけでなく、そのビジネスモデルさえもたわしのなかに取り込もうとしている。「携帯電話付き亀の子たわし」に続いて開発が進んでいるのは、台所の風景を撮影しながら皿を洗える「デジカメ搭載型亀の子たわし」だ。さらに、GPS搭載型、MP3プレーヤー搭載型機種の開発も急ピッチで進む。「最終的には、携帯電話にいま搭載されている機能をすべてたわしに盛り込むのが目標ですね」(本間氏)

 亀の子束子の経営戦略は、消費者はどんな評価を下すのか。狙った通り、さまざまなプラスアルファ機能で需要を爆発的に増やすことができるのか。それとも結局は携帯電話の軍門に下ってしまうのか。その運命に、爪切り、靴べら、モンキーレンチ、しゃもじ、セロテープ台、とっくり、灰皿、鉛筆削り業界が注目している。

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