その歌の出自

 上総・下総・常陸・信濃……。都から遠く離れた地で無名の人々が素朴な感情を込めて詠んだ「東歌」が数多く収められている万葉集の第14巻。次の歌もまた、作者の名前は現代に伝わっていない。

 等夜(とや)の野に、兎ねらはり、をさをさも、寝なへ子ゆゑに、母に嘖(ころ)はえ

 「等夜の野」とは現在の千葉県北部の地名。この地でウサギを狙っているかのようになかなか眠らない子だから母に叱られるのですという、親子の慈しみが伝わってくる温かい歌だが、日本消費者連合会の大羽咲子事務局長は「詠み人知らずなんて、まったく信頼できない」と手厳しい。

 「トレーサビリティが全然機能していない危険な状態で、エキノコックスに感染しているおそれもある。作物に責任をもつ生産者なら、名前をはっきりさせるべき。『等夜の野』という原産地表示も偽装の疑いが濃い」

 22日、東京・渋谷で連合会が「トレーサビリティ全国会議」を開いた。消費者運動家からは、食材の生産者、加工者、流通経路を追跡できるしくみ、トレーサビリティを文芸にも広げていくべきだとの意見が相次いだ。なかでも槍玉にあがったのが、約1300年にわたって作者不明の歌の数々を放置してきた万葉集だ。

「詠み人知らずの徹底排除を」「山上憶良の顔写真と連絡先が掲載されていないのはおかしい」。トレーサビリティの信奉者が壇上で声を張り上げるたびに、場内は拍手に包まれた。

 万葉集の歌は、あるときは表意文字、あるときは表音文字としての漢字ですべての音を表記する万葉仮名で記述されているが、連合会の依頼を受けて講演した河野直久国学院大学教授(日本古典文学)は、強い調子で万葉仮名に潜む問題点を明らかにした。

「詠み人知らずの歌では表意文字の比率が高い。漢字がもつ本来の意味が生かされている。つまり中国語の漢詩としても意味が通じるということ。日本語の『歌』に似せた中国製品である可能性も否定できない」

 同様の疑念は、童謡の研究者にも広がっている。

 大きな栗の木の下で あなたと私 仲良く遊びましょ 大きな栗の木の下で

 疑惑の目を向けられているのは歌詞に登場する「栗」。アメリカ産なのかヨーロッパ産なのか、天津産なのか、長い間専門家の論争に決着がつかなかったのは、原産地を尋ねようにも「作詞者」が「不詳」だからだ。

 昭和音楽大学の相良友紀助教授(児童音楽教育)は、「実は殻のなかに半分しか入っていないのではないか? 虫に食われて黒ずんでいる栗が多いのではないか? トレーサビリティという概念が登場したおかげで、この歌の知られざる暗黒面にみんな気がついた」と語る。

 そしていま、日本人のアイデンティティさえ時代の潮流に呑み込まれようとしている。食品評論家の前崎克郎さんは近く、成田空港から西の空に旅立つ。現地の女性と結婚して、ゆくゆくは国籍を取得する考えだ。

「これまで野菜や肉のトレーサビリティばかり語っていたが、振り返ると自分のトレーサビリティがせいぜい3世代前までしか確保されていないことがわかった。根源まで突き詰めれば、自分を含む日本人の祖先が朝鮮半島から来たのか、カムチャツカ半島やサハリンなど北方から来たのか、はたまた太平洋の島々から来たのか、まったくわからない。人類がどこからやってきたのか、エチオピアの高原でじっくりと考えたい」

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