赤いダイヤは勇気の証

 東京都港区。幹線道路に面した自動車のショールームでは、日曜日だというのに冷やかしの客さえほとんど来ない。今日は早めにシャッターを下ろしても、だれにも文句を言われないな、と若手社員が心のなかでつぶやいた瞬間、この日初めての客がやってきた。

「赤がいいかな。いや、銀だな。うん、銀にしよう」

 山口尚也さんは28歳の建設作業員。18歳で初めて中古で自動車を手に入れて以来、同じメーカーの車を乗り継いできた。昨今の欠陥やリコール隠しをめぐる騒ぎは、もちろん聞いている。が、いまさらほかのメーカーの車に乗る気はさらさらない。

 山口さんが購入を即決したのはコルト。周りを取り囲んだセールスマンのなかには、もう永遠に売れないかもしれないという不安のなか、思いがけなく舞い込んだ注文に涙ぐんでいる人もいる。

 数日後、山口さんが車を取りに来た。キーを受け取り車に乗り込む。ディーラーの裏側にある出口から、左右を確認して車道に出ようとした瞬間、大柄な白人男性が両手を広げて道をふさいだ。

 怪訝な顔で窓をおろした山口さんに、外人は話しかけた。

“Do you wanna be a stunt man?”

 この外人は、ハリウッドでスタントマンの事務所を経営するビル・マットソンさん。はるばる日本まで新人スタントマンをスカウトに来た理由について、彼はこう語った。

“I’ve been looking for a REAL samurai. He is the one.”

* * *

 富山県内にある別のディーラーでは、カタログを広げて商品の魅力を説明するはずのテーブルの上で、セールスマンが新聞を読み、眉間にしわを寄せている。

「国交省、三菱ふそう社長に厳重注意」

 三菱ふそう、そしてその親会社である三菱自動車が、深刻な販売不振にあえいでいる。欠陥隠しを伝える大きな見出しが連日、紙面を飾る現状では、どんなに優秀なセールスマンもお手上げだ。25年間にわたり三菱車だけを売ってきた男性社員は「大学を卒業した娘に、うちの車を勧めたかったんだけど」と苦笑する。

 しかし、そんな三菱車を買う人が、少数だが、いる。

 1546台――今年6月のコルトの販売台数だ。昨年同期比を約6割下回り、社運をかけた主力車種としてはとても十分な数字とはいえない。それでも、足元から崩壊した三菱車の信頼性を考えれば、1546台も売れたのは驚異的といえるだろう。普通ならこの時期、三菱車は買わない。言い換えれば、普通でない人が、1546人のユーザーのなかにちらばっている……。

* * *

 群馬県の峠道。週末の深夜になると、県内はもちろん、関東一円、遠くは関西方面からも多くの車が集結する。彼らが競うのは曲がりくねった道を、どれだけ速く駆け抜けることができるか。勝つために必要なのは優れた性能の車、高度なドライビングテクニック、そして――これが最も重要なのだが――死を恐れない度胸だ。

 星空の下、低く力強い排気音が次第に大きくなる。森にさえぎられた暗闇から、ヘッドライトの光が伸びる。その直後に猛スピードで視界に現れたのは2台のスポーツカー。車体をガードレールぎりぎりのところまで寄せながら、コーナーを駆け抜けていく。そんなシーンが毎晩、何度も繰り返された。少しでもコントロールを誤れば、運が良くてガードレールに接触、運が悪ければ谷底が待っている。

 かつて、この峠道では数々のヒーローが生まれた。極限までブレーキを踏まない男や、ガードレールに数センチ単位まで寄った男が伝説になった。彼らのうちあるものは結婚して子どもができたとたんに死が恐ろしくなり、そしてあるものは大けがをして峠を去っていった。谷底に転落して二度と生きては戻らなかったものも、一人や二人ではない。

 この夏、峠の様子が変わった。コーナーを攻めるのは1台のコルトだけ。攻めるといっても、ドリフトするでもなく、急加速するでもなく、ひたすら制限速度を守り、ガードレールとの間に十分な間隔を保ったままコーナーを通過していく。

 テールランプの赤い光をみつめる道端のギャラリーからは、羨望とも畏怖ともつかないため息がこぼれる。

「あ、あれが伝説のコルトか。まともじゃねえ……」

 何の前触れもなく峠に現れたこの黄色い乗用車が、走り屋たちの尺度を一夜にして根底から覆した。いま尊敬を集めるのは、「速いやつ」ではなく、プロペラシャフトやタイヤが脱落するリスクを省みずに三菱車に乗る、命知らずのドライバーだけだ。

 夏の虫の音にかき消されそうな押し殺した声で、こんな会話も交わされていた。

「中古車業者に持ち込んだら、安く買い叩かれるらしいぞ」

「し、信じられねえ。オレにはとても乗りこなせねえ」

* * *

 田上紀夫さんは腕を組んで考えていた。

 ――やはり、こうするしかないのではないか。自分の勇気を証明するためには、ほかに方法はないのではないか。

 田上さんは過去にも数年ごとに、自らの度胸を試すために命をかけてきた。周囲の誰もが、田上さんが失敗やけがはもちろん、命を落とすことさえも恐れない勇気の持ち主であることを認めている。しかし、田上さんはひとつの思いにさいなまれていた。

 ――これまで自分が続けてきた挑戦は、じつはまやかしに過ぎなかったのではないか。神様も、実はお喜びではないのではないか。

 コルトを買うこと自体には、家族や友人は反対しなかった。ただ、それは車道を普通に走ればの話。田上さんがあるアイディアを明かすと、誰もが「いくらなんでもそれは無茶だ」と制止した。

 ――たしかに死ぬ可能性はある。途中で車になにが起きるかわからない。危険は承知の上だ。しかしこの挑戦で、私は本当の勇者として歴史に名を刻むことができる。諏訪大明神もきっと喜んでくださるに違いない。

 長い自問自答の末、田上さんは明確な答えに至った。御柱ではなくコルトの運転席に座った田上さんは、エンジンをかけ、急斜面に向けて車をスタートさせた。

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