技術者魂――プリン輸送に革命

 「田中さんの次のノーベル賞に、最も近い男」。日本のプリン業界で、沢渡大さん(61)はそう呼ばれる。ノーベル物理学賞を受賞した島津製作所の田中耕一さんが大卒なら、沢渡さんは中学を卒業以来、東日本食品エンジニアリング(株)の薄暗い研究室で一貫してプリン製造機械の開発に取り組んできた。沢渡さんの業績に、田中さんのような派手さはない。しかし、プリン工場付近の住民たちは、口を揃えてこういう。「沢渡さんの業績は、アルフレッド・ノーベルに匹敵する」

 経済産業省の推進する巨大食品製造プロジェクト。つくば市内にあるこの計画のパイロット・プラントから、高さ15メートル、底面の直径18メートルのプリンが、特殊車両に載せられてゆっくりと運び出された。道路の上には高さ15センチほどの突起が設けられており、タイヤが乗り上げるたびに車両は揺れるが、巨大プリンは安定したまま。設計通りの性能に、沢渡さんは黙ってうなずいた。

 3年前、58歳の誕生日に娘が中華街に招待してくれたことが、沢渡さんの人生とプリン工業の将来を変えた。帰りに寄った超高層ビル、ランドマークタワーに、最新鋭の減振装置が設置されていた。地震が発生したさい、巨大なおもりを動かしてビルを逆方向に動かし、揺れを相殺するしくみだ。

 「同じやり方が、プリンでも応用できるのではないか」――翌日からデータ収集と開発が始まった。寝食も忘れるほど、沢渡さんがプリン用減振装置の開発に集中した背景には、多くの尊い人命の犠牲がある。1970年代、プリン業界各社の努力が実を結び、直径15メートル以上のプリンを製造する技術は確立していた。問題は、プリンを工場から売り場、そして家庭までどう運ぶか。直径2メートル以上のプリンは少しの振動でも激しく揺れて分解してしまう。トラックの運転手や歩道の通行人がプリンの下敷きになって窒息する悲惨な事故が相次ぎ、死者・行方不明者は70年代だけで31人を数えた。いつのまにか巨大プリンは業界関係者に「ニトログリセリン」という隠語で呼ばれるようになり、やがて危険すぎるという理由で姿を消した。

 沢渡さんは、80年代にもプロジェクト・チームを率いてプリン用減振装置の開発に取り組んだことがある。このとき採用されたのは、二つの巨大プリンを並べて上からつり下げるという大胆な構造だったが、テレビ局が番組を収録していた野外プールのすぐそばで、試験輸送中のトラックが転倒事故を起こし、新聞の番組欄に「ポロリ!史上最強、13トン×2のハプニング」と紹介されてしまった。計画はお蔵入りとなり、沢渡さんのチームは解散に追い込まれた。

 それから20年。美味しいプリン、弾力性のあるプリンを製造する機器の開発では業界一の業績を残した沢渡さんだが、大型プリン輸送機械の開発失敗の悔しさは忘れられなかった。3年前、ランドマークタワーでひらめいてからは寝食を忘れて開発に取り組み、無断で屋上部分に運び込んだ巨大プリンでランドマークタワーをべとべとにするなどの失敗を繰り返しながらも、最終的には実用化が可能なレベルにこぎ着けた。

 安全な輸送が可能になったことを受け、この夏からはキングサイズのプリン出荷が始まる。コアなプリン・ファンの間では、「スコップで食べてみたい」という長年の願望をようやく実現できるとの期待が広がっている。ただし当面は容器に入ったまま。容器を反転させ皿の上にプリンを落とすのは、10トン級以上では依然として極めて危険な行為だ。周囲数キロに響く巨大な「ポタン」を夢みて、沢渡さんの新たな挑戦が始まろうとしている。

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