いま、日本にできること

 インド洋に浮かぶアメリカ軍の要塞、ディエゴガルシア島。9月下旬、一人の日本人が基地内部の浴場にやってきた。15代目梅の湯流五郎。現代に残る唯一の三助だ。

 日本から持ち込んだへちまを慣れた手つきで操りながら、流五郎は汗と泥で汚れた兵士の大きな背中を、次から次へと手際良く流していく。

「こいつぁ立派な筋肉だ。ずいぶんと鍛えていなさるねぇ。おっ、粋だねぇ、この刺青」

 まくしたてる日本語が兵士たちに通じるわけもない。が、流五郎は長年の経験から、裸のつきあいは言葉の壁を超えると信じている。

 元禄時代、魚屋、船頭と並ぶ「江戸の三大水仕事」に数えられた三助は、銭湯の没落とともに急速に減少した。5年前に兄弟子の梅の湯泡六が廃業してからは、流五郎が唯一の三助。その流五郎も、息子は2人とも公務員だ。「継がせたくても、銭湯がなくなりゃ話にならない」と、自分の代で伝統の技を封印することを決意した。

 地球の裏側で起きた悲劇が、三助の運命を変えた。防衛庁からの要請を受けた流五郎は、その日のうちに桶とへちま、手ぬぐいを持って厚木基地に向かい、米軍機でディエゴガルシア島に着いた。それからは洗い場に1日4時間立つだけでなく、同行した日本の自衛官100人以上に対し、三助の技と心を惜しみなく伝授している。「御上に命じられた仕事。一生懸命やりますとも」。兵士の背中をこする流五郎の両手に自然と力が入る。

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 日本政府は米国への協力を約束したが、軍事行動への直接参加は、日本国憲法第9条を改正しない限り不可能だ。自衛隊もこれまで、山岳地帯でのゲリラ戦という特殊な状況を想定した訓練はまったく行っていない。「しかし、国際政治の現実を考えれば、『日本は何もできません』という言い分は通用しない。日本の特色を生かし、できることから始めなければ」(防衛庁幹部)

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 ペルシャ湾に展開中の原子力空母、カール・ビンソン。戦闘機や攻撃機が次々と轟音とともに飛び立ち、訓練を終えて帰還する。その頻度から、作戦行動が間近に迫っていることがうかがえる。

 広大な甲板の下の格納庫では、整備士たちが点検や整備に余念がない。1機数十億円もする軍用機が能力を100%発揮できるかどうかは、整備士たちの腕にかかっているのだ。

 格納庫に、4本腕の整備士がいる。それぞれの手にはドライバー、スパナ、部品、ボルトが握られ、ほかの整備士の2倍のスピードで次々と点検と部品交換を済ませていく。

 4本腕のうち2本はアメリカ海軍の兵士、残りは17代目双葉屋徳丸のもの。海軍兵の着るネイビーブルーの特製羽織に隠れた徳丸の顔は、外から見えない。徳丸もまた、外の状況がわからないはずだが、器用にねじを締めたり、部品を取りつけたりしている。

「50年もやってると、見なくても大抵のことはできるようになります。そばを相棒に食べさせるほうが格段に難しい」(徳丸)

 「相棒」とは17代目双葉屋徳松。徳松と徳丸は、280年の歴史をもつ伝統芸、二人羽織を現代に伝える人間国宝だ。7歳のときから舞台では常に一緒だった徳松は、日本に残った。「憲法を守るためには仕方がないでしょう。いまはできる範囲のことを精一杯やるだけ」と、徳丸は羽織の中に頭を隠したまま語る。

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 最前線での軍事行動に自衛隊が参加すれば、国内で強い反発が生じるのは避けられない。かといって、金銭的な貢献だけでは、国際社会の理解が得られない。内外の事情を考えれば、「後方支援」が唯一の公約数だった。梅の湯流五郎、双葉屋徳丸の後方支援について、米国防総省のアンドリュー・アプラトニー次官補は「文化遺産を受け継ぎながら安全保障に貢献している。後方支援の枠の中でもできることはたくさんあることを実証した」と評価する。

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 アフガニスタン北部、ヒンドゥークシュ山脈。数人の護衛を引きつれて、ウサマ・ビンラディンが馬に揺られながら、つづら折りの山道を進む。最新技術を駆使したスパイ衛星も、はるか上空から遊牧民と凶悪テロの首謀者を区別することはできない。

(このまま逃げられると思ったら大間違いだ)

 心の中でつぶやいたのは、12代目中村蹄近。歌舞伎で馬の後ろ足を演じさせれば、本物の馬もかなわないといわれる芸達者だ。落ち着いた馬、寂しげな馬、いきり立つ馬……。ひづめとひざ、尾の動きで馬の心の微妙な動きまで表現できる後ろ足専門の役者に運ばれているということに、ビンラディンも、護衛たちも気づいていない。すきを見て逃げ出し、隠し持っている無線で一味の正確な位置を通報するつもりだ。

 しかし、蹄近には一つだけ不安がある。いまの日本にできるのは後方支援だけ。馬の頭と前足を演じさせれば当代随一と言われる12代目中村駒玉は、出国を断念せざるを得なかった。蹄近は今まで以上にリアリティを追求しなけばならない。

(いいか、おれは、おまえの後ろ足だ)

 腹のあたりに違和感を感じて後方をしばしば振り返るようになった本物の馬の頭と前足に向かって、蹄近は声を殺して語りかけるしかなかった。

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