夢と希望乗せて飛ぶハンマー

 ハンマーの先端にある重さ7.3キログラムの鉄球が、まるでコンピューターでも搭載されているかのように、アスリートの周囲を回転するたび、厳密に決められた量の運動エネルギーを蓄積していく。わずかな狂いもないタイミングで手を離れると、ハンマーは最も理想的な形の放物線を描き始めた。

 鈍い音。落下地点にかけよる審判。メジャーによる測定。息をのむ観客たち。電光掲示板が映し出した「80メートル56」。この瞬間、室伏広治(ミズノ)は自らのもつ日本記録を更新した。

 小さく飛び上がって喜びを表現する室伏。観客席のどよめきは、すぐに拍手と歓声に変わった。室伏は9月のシドニー・オリンピックで、日本人としては初めて、投てき競技でメダルを獲得するかもしれない。観客や大会役員、そして室伏に敗れた多くの選手たちまでもがそう感じたはずだ。

 同じスタジアムで、フィールドから遠く離れた観客席の最上列に座った老人は、まったく違う興奮を覚えていた。

――あれは、28年前の冬。日本中のテレビの前で、無数の人々が手に汗握りながら、クレーンからぶら下げられたハンマーに声援を送った。過激派が立てこもった山荘の壁を、巨大なハンマーが徐々に壊していく。事件発生から9日目、ハンマーの開けた穴から警官隊が突入。過激派はすべて逮捕され、人質は救出された。

 「室伏選手の活躍を見ていると昔を思い出す」と語るのは、当時、48時間休むことなくクレーンを操作しつづけた会田辰哉さん。事件をきっかけに過激派は国民の支持を決定的に失い、思想的な背景をもつ人質事件は激減。ハンマー付きクレーンが活躍する機会もなくなった。

「それはそれでいいのだが、あのとき私たちにハンマーを振り回させた熱い何かを、日本人は失ってしまったのではないか」

 会田さんは、クレーン車でフィールドに突入し、エンジン全開でハンマーを放り投げれば、世界記録はもちろん、日本社会の閉塞状況さえも破れるような気がしてならないという。

 同じスタジアムの最前列には、車椅子に乗った15歳の少女、太田順子さんがいた。太田さんのポケットには、室伏あての手紙が1通入っている。シドニーの表彰台に室伏が立つことができたら、すぐに投函するつもりだ。

 太田さんは3年前から脚気に苦しんでいる。ビタミンB1の錠剤を買いに行った親友が帰り道に交通事故で死亡してから、太田さんの潜在意識は、ビタミンB1の吸収を拒んだ。注射で栄養剤を投与され、膝蓋反射の機能はすでに回復しているはずだが、医者がひざにハンマーを振り下ろしても、太田さんの足は微動だにしない。心理的な傷が壁となり、普通の衝撃では神経がまったく反応しない状態になっているのだ。

「でも、お医者さんが言うには、82メートル以上を飛んできたハンマーがひざに高速度で命中すれば、ひょっとしたら神経が反応するかもしれないんです」と、太田さんは夢を手紙の文面に託す。いつの日か、80メートルラインの少し向こう側で、まるで審判が手にした三角の旗のように、太田さんの足先も勢いよく跳ね上がるだろうか?

 室伏の生み出す商機に注目している人もいる。遊具機メーカーの浅野製作所(東京都台東区)では最近、「室伏式もぐらたたき」を試作した。たくさんの穴からランダムに「もぐら」が頭を出すのは従来品と同じだが、違うのは穴がフィールドいっぱいに散らばっていることと、サークルの中から放り投げたハンマーが命中しなければ得点しないということだ。

 「室伏式もぐらたたき」がヒットするかどうかは、シドニー五輪での室伏の成績にかかっている。ヒット商品になれば、将来、日本で優秀なハンマー投げ選手が多数輩出するかもしれない。室伏本人にも、幼いころ同じような方法で遊んだ経験があるからだ。もっとも、室伏の役目は父親に放り投げられて、元の場所に走って戻ってくることだったが……。

 室伏の活躍の結果、すでに自信を取り戻した人たちもいる。室伏が80メートルの大台を突破した今年5月あたりから、全国の水泳教室で、なかなか上達しなかった生徒たちが講師の指導を無視するようになった。反抗というよりも、泳げないことを前向きに受け止める人が多いという。横須賀スイミングスクールの成人コースに通う主婦、山口志保さんもそんな生徒の一人。「室伏さんが、あんなにがんばっている。私たちもハンマーであることに誇りをもとう」と目を輝かせて語る山口さんに、周囲は「ちょっと違うよ」と、どうしても告げられないでいるという。

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