スカイ・ハイ

 原田雅彦は、いつものようにウォークマンのボリュームを最大にした。「スカイ・ハイ」のメロディが、少しだけイアホンの外にこぼれる。

 原田が目を閉じて、心のなかに描いたのは、往年の覆面レスラー、ミル・マスカラスが四角いリングのなかを鳥の如く身軽に飛び回る情景だった。

「鳥のように空を飛びたい」──世界各国から、ここ長野のジャンプ台に集まった男たちは、そんな願いを胸に秘めながら、ジャンプ台の急勾配を時速100キロで滑り降りていく。原田の場合、目標は鳥ではなく、メキシコの国民的英雄、ミル・マスカラスだ。

 原田の夢は、父親に連れられて行った近所の体育館で、マスカラスの華麗なファイトを見たときに始まった。原田も、多くの同級生たちも、大きくなったらマスカラスのようなプロレスラーになりたいと願った。同級生たちはあきらめ、ある者はサラリーマンになり、ある者は医者になったが、原田だけはスキー・ジャンプの道に進んだ。舞台は違っていても、空を飛ぶことに変わりはない。そう原田は考えたのだ。

 原田の順番まであと3人。それでも、日本のウインタースポーツ界、いや、1億2000万人の重い期待を背負ったこの男は、目を閉じ、「スカイ・ハイ」の2コーラス目を聞きながら、心を無にしてマスカラスの躍る肉体を想像している。

 原田は決して、イメージ・トレーニングのなかで自分が跳ぶ様子を思い浮かべたりしない。無理に思い浮かべようとすれば、原田の心のなかで再現されるジャンプはただ一つ。1994年のリレハンメル五輪、ジャンプ団体の大失敗ジャンプだけだ。そのとき、日本チームは二位以下を圧倒的な差でリードしていた。原田は、ごく普通のジャンプをすれば、金メダルを獲得できたはずだった。ところが原田はプレッシャーに負け、「歴史的」とさえ言われた大失策を演じてしまった。

 自信をすっかり失った原田は、95年夏、メキシコ・シティにミル・マスカラスを訪ねている。

「君の目標は何だ?」

 握手も挨拶もなく、マスカラスは原田にいきなりこう質問した。

「それは……、あなたのように、あなたのように飛ぶことです」

「よろしい。大切なのは、常に目標をしっかりと見据えることなのだよ」

 その一言で、目の前の霧が晴れたような気がした。「マスカラスのように飛ぶ」──ただ一つの目標に向かって飛ぶだけでいいのだ。明確な目標を見いだした原田は、夏のジャンプ台で、冬のジャンプ台で、超人的なトレーニングを続けたのだった。

 原田の一人前の選手が飛び出した。着地したのはK点の数メートル先。観客席は騒然となったが、原田は無関心だ。

「僕は、マスカラスのように飛ぼう。それでいいんだ……。あっ!」

 原田は思い出した。リレハンメルのジャンプ台でも、同じことを願った。

「マスカラスのように飛ぼう」。ところが、プレッシャーに動揺した原田は、ミル・マスカラスのあまりに強烈なイメージを心に描いたがために、踏切地点でフライング・クロス・チョップをかまし、左後方に飛んでしまったのである。これまで思い出すことのなかった4年前の悪夢が、次々と鮮明によみがえった。銀メダルを手にしたチームメイトの苦笑。スポーツ新聞の1面に大きく掲載された「国辱」の文字。サッカー日本代表がW杯出場を決めた夜、独りぼっちで枕を濡らしたこと……。膝ががくがく震えた。これでは到底飛べない。

 そのとき、場内に「スカイ・ハイ」の勇ましい前奏が鳴り響いた。それだけではない。ジャンプ台の先にある観客席の最上段に、周囲よりもずば抜けて高い裸の老人が現れたのである。

「ジャイアント馬場……」

 原田はすべてを理解した。マスカラスが、長年のライバルであり、友人でもある馬場に頼んだに違いない。「常に目標をしっかりと見据えることなのだよ」。マスカラスの言葉がはっきりとよみがえった。

 原田はヘルメットを脱ぎ、その中に小さく折り畳んでしまってあったラメ入りのマスクを取り出し、素早くかぶった。ジャンプ・スーツをカッターで切り裂き、白いプロレス用トランクス1枚になった。

 スロープに飛び出した原田は、絶妙のタイミングで踏み切ると、空中で「フライング・クロス・ジャンプ」と誇らしげに宣言した。2本のスキーが、X型にクロスした。V字ジャンプよりもはるかに大きな揚力が生じた。そして原田は、K点のはるか上空を通過し、観客席最上段の馬場に向け、一直線に飛んでいったのだった。

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