絶縁

「東部百貨店でお買い物中の皆さん!」

 白塗りのワゴン車の屋根に取り付けられた、八つの巨大なスピーカーが出す音のために、池袋駅西口一帯にあるビルやマンションのガラスが、小刻みに震えた。

「この悪徳企業は、我々庶民に高価な品物を売りつけて稼いだ利益を、こともあろうに北埼玉ペブルビーチなるゴルフ場の造成につぎ込んだのであります。このゴルフ場は乱脈経営を尽くし、会員権価格は当初の見込みを大幅に下回っている有様。東部百貨店の全取締役は即刻辞任するべきです。いや、仮にも『お客様第一』を標榜するなら、すぐに自決するべきではないでしょうか……」

 少し離れた場所に駐車されたベンツの後部座席で、様子を見ていた白髪の男が意地悪く笑った。

(時間の問題だな。あと30秒もすれば、総務部長が真っ青になって出てくる。そりゃそうだ。これじゃ客に合わせる顔がないからな。最初から素直に金を出せば、オレだって仲間の右翼を連れて来たりしなかったのに……)

 この男の予測は、半分だけ当たった。正面出入口から、地下鮮魚売場のオバちゃんから会長に至るまで、すべての社員が出てきて、白塗りのワゴン車を幾重にも取り囲んだのである。

 ワゴン車の天井でマイクを手に絶叫していた元気な男も、事態が理解できないため言葉が続かなくなってしまった。

「ピーッ」

 一人の若い女子店員が、歯切れ良くホイッスルを吹いたのを合図に、社員全員がゆっくりと左右の手を回して上にかざす。

「なんだ、ありゃ」

 白髪の男の口から、葉巻が落ちた。

「ピッ」

 二度目のホイッスルを合図に、すべての社員が両手の人差し指と中指を交差させ、高らかにこう宣言した。

「バリヤッ」

 白髪の男はあわてて携帯電話のボタンを押し、ワゴン車に命令した。

「逃げろ。やつら、本気だぞ。すぐ退却するんだ」

* * *

 新宿のとある高層ビルの一室では、ファクシミリが手書きのメッセージを吐き出した。イライラしながらメッセージの到着を待っていたスタッフが、受信終了を待たずに紙を引っぱり出して読み上げる。

「池袋西口・東部百貨店から入電。総会屋一味の撃退に成功しました」

「やった!」

「万歳!」

 この部屋の中央には、関東地方の巨大な立体地図が水平に置かれている。東部百貨店の所在地を示す白いブロックの前から、黒い三角形が一つ、とりのぞかれた。

「幸先いいですねぇ」

「こんなに簡単だとは思わなかった」

「ようし、この調子だ」

 圧勝に浮かれる「司令室」のスタッフのなかにあって、総会屋対策班最高顧問を務める12歳の少年は、至極冷静だった。

「こんなに簡単に勝てるわけない。むこうもすぐに作戦を考えてくると思うよ」

* * *

 「絶対絶交断絶作戦」──計画の呼び名に、これまで何度となく総会屋との絶縁に失敗してきた百貨店業界の無念が込められている。百貨店業界では一昨年、昨年と、大手の幹部が総会屋に対する利益供与の疑いで逮捕され、いずれの百貨店でも社長が退陣に追い込まれた。しかし、総会屋の言うなりにはなりたくない、店の体面も傷つけたくない、そんなジレンマの中で苦しんできたのは、どこの百貨店でも同じだ。

 警視庁経済犯罪対策室は日本百貨店協会に対し、まず毅然とした態度を示すよう求めた。どの百貨店にも、それが必要なのはよくわかっている。では、具体的にはどんな方法で総会屋に拒否の意志を示せばいいのか。何百回という試行錯誤を経て選択された方法は、誰もが少年少女時代に経験したことのあるバリヤだった。

 日本百貨店協会では秘密裏に、全国の小学校にスカウトを派遣してバリヤの達人50人を選びだし、総会屋に利益供与を執拗に要求されている百貨店に送り込んだ。これらの百貨店ではそれ以来、営業時間終了後もほとんどの店員が深夜まで店内に残り、最新バリヤの習得を目指して特訓を続けてきた。

 そしてこの日、全国一斉に総会屋に対する実力行使に踏み切ったのである。

* * *

 池袋東口での戦いから約3時間後、三輿百貨店の日本橋本店前に、ベンツ数十台に分乗したサングラスの男たちが集結した。日ごろは縄張り争いに明け暮れている総会屋たちが、事態の深刻さに気づいて一致団結し、日本で最も由緒ある三輿百貨店で最終決戦をしかけたのである。

 状況は刻々と司令室にも伝えられた。

「敵の兵力、約300人。なおも増加中」

「完全武装のバス5台が首都高速1号線を南下中」

 さきほどの戦勝ムードはどこかへ消え、スタッフの顔には不安の色が浮かんでいる。ただ一人、最高顧問の少年だけは落ち着いていた。

「あわてないで、あらかじめ決めておいた方法を守れば、それでいいんだよ」

 三輿百貨店の周囲には、いかつい男たちの黒くて厚い輪が形成された。彼らは皆、汚い言葉で「三輿の厚顔無恥な経営陣」を罵っている。

 店の中から、三輿百貨店のシンボル、ライオンを刺繍した軍旗を先頭に、店員たちが出てきた。百貨店の周囲に人の鎖を作り、総会屋の軍勢と対峙する。

 どの店員の顔にも、自信がみなぎっていた。それは、総会屋の知らない顔だった。少し揺さぶればすぐ金を出す弱腰な総務部長。総会屋にとっては、それが百貨店のすべてだった。

「ピーッ」

 エレベーター嬢が、戦いの始まりを告げるホイッスルを吹いた。すべての店員が寸分の狂いもなく、二本の指をクロスさせた右手と左手を、空に向かってかざす。

「バーリヤッ」

 しかし、総会屋たちは逃げなかった。バリヤ姿勢を維持している百貨店の店員を睨みつつ、静かに両手を胸の前で交差させ、低くしわがれた声を一つにしてこう叫んだ。

「バリヤくーずしっ」

 慌てたのは、司令室に控えていた日本百貨店協会の幹部たちだ。

「やはりバリヤくずしで攻めてきた」

「だいじょうぶか」

「三輿がやられたら、おしまいだぞ」

 12歳の最高顧問は、先ほどと同じ言葉を繰り返した。

「あらかじめ決めておいた方法を守ること」

* * *

 三輿百貨店の店員、一人一人にとって、これは日本の百貨店の危機というよりも、血の出るような特訓の成果を発揮するためのチャンスだった。両手を手の前でクロスするバリヤ崩しは、1982年、長野県松本市立緑が丘小学校で初めて使われた。発明したのは当時6年3組だった柏原祐介君。このバリヤ崩しは、その2週間後、同級生の香坂孟君に封じられている。

 店員たちは右手を上げ、左手を下げて、両手の手首、ひじの関節を90度に曲げた。前から見ると、両手が階段のような形になっている。指は中指を上にあげ、薬指と人差し指をクロス。6年前、香坂君が柏原君に対して見せたのと全く同じ姿勢だ。

「バリヤ崩しふうじっ!」

 渾身の一撃を見事に封じられた総会屋の軍勢から、勝ち目がないと悟った数十人の男たちが逃げていく。残った総会屋はさらに、片足上げ、ケンケン、指メガネなどさまざまな姿勢でバリヤ崩しを試みたが、どんなパターンに対しても、三輿百貨店は完璧なバリヤ崩し封じを用意していた。その数、約1万パターン。日本百貨店協会の会員企業が市場調査部やマーケティング部をフルに活用して収集した、戦後日本におけるすべてのバリヤ崩し、バリヤ崩し封じに関する情報が、すべての店員の頭にたたき込まれている。

* * *

 「日本橋・三輿百貨店から入電。総会屋連合軍とその子分を殲滅。敵の軍勢は一部南方に逃走、等急百貨店がこれを取り囲み、粉砕!」

 大勝利の知らせに、司令室は熱狂した。中央の地図からは、三輿百貨店を囲んでいた多数の黒い三角形が、すべて取り除かれた。ほかの百貨店からも、続々と勝利の知らせが寄せられてくる。総会屋の残党たちを、各百貨店が順調に駆逐しているのだ。

 勝利を祝うため、百貨店各社の社長が司令室に次々とやってきた。総会屋との関係はバリヤで完全に断ち切った。「最高顧問のおかげで、これからは株主総会の開催日が近づいても、安心して眠れますよ」、社長たちがそんな謝辞を少年に向かって述べていたとき、司令室のファクシミリが再び鳴った。

 また、勝利の知らせに違いない。そう信じて、シャンペングラスを片手にメッセージを取りに行ったスタッフの顔が凍りついた。

「八王子そうご、苦戦中。敵はバリヤを突破。役員室に接近中」

 すぐに続報が来た。

「八王子そうご、敵に占領され……」

 そのメッセージは途中で終わっていた。総会屋が送信側のファクシミリを破壊したのだろう。地図から八王子そうごの所在地を示す白いブロックが取り除かれ、同じ場所に黒いブロックが置かれた。

「なぜだ? なぜバリヤは崩されたんだ?」

「完璧なはずじゃなかったのか?」

 最高顧問に激しい口調で問いつめる社長もいた。

「ああっ!」

 メッセージの受信係が悲鳴を上げた。

「新宿から入電。小田Q、円井、伊勢痰が全滅。バリヤまったく効かず。敵の新兵器、破壊力極めて大」

 地図の上では、黒いブロックの数が急速に増えていく。渋谷、上野、浅草、銀座……。白いブロックは見る見るうちに減少し、やがて池袋の東部百貨店、日本橋の三輿百貨店も総会屋に占領されてしまった。

 司令室はパニックに陥った。すぐに総会屋たちが、この司令室にもやってくるに違いない。社長たちの態度も、先ほどまでとはすっかり違っていた。

「だから私はこの計画には最初から反対だったんだ」

「これまで通りの共存共栄で行きましょう」

「しかし、総会屋たちは許してくれるだろうか」

「怒ってるでしょうなぁ。盾ついたんですから」

「戦犯をさしだせばいい」

「そうだそうだ」

「最高顧問が言い出したことですからな」

「まったくその通り」

「すべて、あの小学生が命令したことなのです。いいですな……」

 社長たちの謀議にまったく気が付かないまま、最高顧問の少年は必死に自問していた。

(バリヤはなぜ破られたんだろう。バリヤ破り封じは絶対に勝てるはずなのに……)

 少年はこれまでに戦ってきたバリヤ合戦の歴史を振り返ってみた。

(あのときも、あのときも、あのときも、勝った。あ、一度だけ逆襲されたことがあったっけ……)

 半年ほど前、小学校のトイレで「大」をしたことがばれ、バリヤで全校生徒から隔離された同級生が、逆上して暴れ回り、バリヤどころではなくなったことがあった。

(総会屋はきっと、あいつと同じ手を使ってバリヤを破ったんだ……)

 少年がようやく気が付いたとき、総会屋の無数の軍勢はすでに、司令室の置かれた高層ビルを取り囲み、一人が一本ずつ手にした便所掃除用のブラシを、42階から地上を見下ろしている少年に向けて、真っ直ぐに伸ばしていた。

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