オサム、35歳の決意

 もし、スポーツ新聞の一面を飾った大見出しが目に入らなかったら……。

 もし、その日が35歳の誕生日でなかったら……。

 もし、名前が「オサム」でなかったら……。

 いや、「もし」を言うのはやめよう。彼はいま、この瞬間にも踊り続けているのだから。

 大手食品メーカーの課長、伊藤治さんはその日、勤続13年間で初めて会社を無断欠勤した。京浜東北線に乗らず、浦和駅のホームから見える「サマンサ山口・ジャズダンススクール」へと向かった。ドアを開けた瞬間、「オレにもダンスを教えてくれ!」と叫んだ。そのとき、「すでに人間の目ではありませんでした」と講師の山口真佐子さんは証言する。

 内気なために、学生時代からフォークダンスの輪にさえ加わったことがない伊藤さんを、一つの熱い思いが駆り立てた。

「オレだって、オレだって、15歳年下を孕ませてみたい」

 伊藤さんと同じ思いを、数多くの中年男性が抱いている。(財)日本ダンス舞踊教室協会の調べによれば、22日から25日にかけて、国内のダンス、バレエ、日本舞踊教室に入門した未経験の中年男性は、5694人に達した。そのうち8割以上が、「イサム」さんと「オサム」さんだ。

 伊藤さんはスーツ姿のまま48時間にわたって踊り続け、そして倒れた。救急車で病院に運ばれる途中、意識が朦朧となりながらも、「アムロ、オレのムーブを見ろ」と呟き続けていたという。

 意外なことに、妻の美和さんは伊藤さんの変化に理解を示している。

「私だって、15歳年下の異性のほうに惹かれますからね。主人には、主人の信じる道を極めて欲しいと思っています」

 幼い頃から心臓が弱く、医者には絶対安静を命じられた伊藤さんだが、美和さんの助けを得て、入院した次の日にはダンス教室に戻った。二つの夢を背負って、伊藤さんは今日も踊り続ける。

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