徳川最後のぎゃふん

 慶応四年四月十日の夕刻、江戸城の一角で、ある御前試合が行われた。出場したのは、全国から選りすぐられた、ぎゃふん道の達人、たった三人。

 老中、板倉勝静が声高に叫んだ。

「隣の家が囲い作ったってねぇ。かっこいい」

 一人目の達人、堀井庄三郎は、板倉の駄洒落に

「ぎゃっふぅん」

 と応え、そのまま見事なとんぼ返りを切ったかのように見えた。

 ところが、尻を空高く上げ、地面に向けて万歳した堀井は、その勢いを保ち、空中で猛烈な回転を続けている。

 ぎゃふん道の姿勢としては、基本中の基本といえよう。この堀井庄三郎という会津藩士の凄いところは、基本の姿勢を保ったまま、空中で回転を続けていることにある。堀井を支えているのは、厳しい鍛錬で養った精神力しかない。

 その場に居合わせた幕臣たちは、初めて見る技に息を呑んだ。書物の中の空想でしかないと思っていた「術」を、彼らの目の前で、生身の人間がこうして実際に使っている……。

 ただ一人、悲しい視線を堀井に向けている男が、この場にいた。徳川第十五代将軍、慶喜である。

 戦国のころ、ぎゃふんを知らぬ者は戦場で生き残ることができなかった。しかし、太平の世が二百六十五年続いた結果、ぎゃふんを解す武士は、ほとんど残っていない。

 「それでも、良い」

 と慶喜は思っている。笑いの形は、時代とともに変わっていく。横浜見物に行った腰元の一人によれば、最近は米利堅人の講釈が流行りらしい。向こうの講釈師は、座布団の上に座らない。羽織も着ない。立ったまま、人種についての冗句を早口でまくしたてる。慶喜をはじめとする武士階級には通じない笑いだが、庶民はこの新しい笑いに飛びついた。

 そして、薩摩、長州もこの洋式の笑いを熱心に取り入れている。

 次に登場した達人は、越前藩でぎゃふん道の指南役を務める落合竹造。

 「隣の家が囲い作ったってねぇ。かっこいい」

 落合竹造もまた、

 「ぎゃっふぅん」

 と返し、宙に浮かんだ。堀井庄三郎と違い、落合は直立したままだ。しかも、速度を増しながら上昇していく。あっという間に、落合は朱色に染まった雲の中に消えてしまった。

 回転と並ぶぎゃふん道の基本、噴射である。ただ、落合の場合は噴射の量が人並みはずれていた。なにを噴射したのか。多少の嗅覚を具えた者なら、考える必要はなかった。

 前の年の十月十三日、慶喜は京都で、朝廷に対して大政を奉還している。幕府に日本を統治する能力がないことを認め、徳川家が代々継承してきた政権を放棄したのである。

 その日の夜、慶喜は板倉勝静を呼び寄せ、こう命じている。

「ぎゃふん道の達人を集め、御前試合を開くのだ」

 板倉は、聞き返した。

 「この時期に、御前試合でございますか」

 板倉の疑問は、当然である。ぎゃふんを主力とする旧来の戦術で、米利堅や英吉利から新しい笑いを導入している薩摩藩や長州藩にかなわないのは、すでに明白である。大政奉還の結果、薩長がすぐに幕府に対し決戦を挑む可能性はなくなったとはいえ、御前試合をしている余裕など、とてもない。

 「最強の使い手、五人、いや、三人でよい。今から手を尽くして集めるのだ」

 「しかし、」

 「板倉、お前は黙ってわれの言う通りにすればよい」

 と言って、慶喜は微笑んだ。この、深謀の将軍がなにを考えているのか、板倉にはまったく見当がつかない。

 最後に登場した達人、桑名藩士飯田慎太郎は、手足が細く、色白で、目鼻立ちの整ったなかなかの美男子である。他の二人の達人のような力強さ、荒々しさは、飯田の外観からは少しも感じられなかった。

 「隣の家が囲い作ったってねぇ。かっこいい」

 「ぎゃっふぅん」

 飯田が、美男子に似つかわしくない鼻から息が抜けたような音で答えたのは、声色をわざと変えたからではない。いつのまにか、飯田の目と鼻は二つずつの点になっていた。そして、小さな鼻からずるずると洟が出て、またたく間に足下に小さな池ができた。

 ぎゃふん道のなかで最も難しいと言われる、「洟垂れ小僧」である。

 堀井庄三郎、飯田慎太郎、そして蛇の目傘を手にゆっくりと地上に降りてきた落合竹造。三人があらん限りの力を出し尽くした、見事な勝負であった。日本のぎゃふん道は、その命を終える寸前、頂点に達したと言って良い。慶喜がいなければ、この劇的な御前試合は実現しなかった。ぎゃふん道の最後の華を咲かせるために、天が徳川慶喜という男を地上に遣わしたとしか思えない。

 その慶喜はやや考えた後、紙に筆で何かをしたため、これを折り畳み、板倉勝静に渡した。中には、御前試合の勝者の名前がある。堀井庄三郎か、飯田慎太郎か、落合竹造か。勝者は誰なのか。

 板倉は、紙を広げ、これを三人の達人に向けて高く掲げ、大声でこう読み上げた。

 「練習終わり! これより本番!」

 予想もしていなかったオチに、さすがの達人たちも慌てたのであろう。美男子に戻っていた飯田慎太郎は再び洟垂れ小僧化し、隅田川を江戸城に引いたかと思われるほど勢いよく洟を吹き出した。落合竹造はまるで大砲の弾丸のように、江戸城の天井という天井、壁という壁を突き破った。堀井庄三郎の回転は、大奥を一瞬のうちに廃墟にした。

 江戸城全体が崩落するまで、小半時もかからなかった。

 翌四月十一日、江戸城はそのままの状態で新政府に明け渡された。それ以降、歴史の表舞台に登場することは二度となかった慶喜だが、退隠先の水戸に向かう途中、表情はまるで勝者のように晴れやかだったという。

 

NIFTY-SERVE FCOMEDYS 第4回嘘競演参加 お題:『ぎゃふん』

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