肩落とす反対派

 「こんなはずではなかった……」

 2005年の万国博覧会が愛知県瀬戸市で開かれることが決まった瞬間、ニュースをテレビで見ていた泉英昭さんはがっくりと肩を落とした。愛知県が万博開催を決めてから9年間、泉さんは市民グループの代表として、草の根の反対運動を粘り強く推進してきた。ところが、泉さんや仲間の必死の努力も空しく、博覧会国際事務局(BIE)加盟各国による投票で、万博の会場には愛知県が選ばれてしまったのである。

 ちょうど同じころ、太平洋の向こう側で正反対の反応を見せたのが、万博は自然破壊や物価上昇につながるとして開催に反対していたカナダ・カルガリーの市民グループだ。代表のマイケル・クリストファーさんは、記者会見で誇らしげにこう語った。

「オリンピックの借りは返した」

 カルガリーは1988年冬季五輪の開催地。一方、愛知県は88年夏季五輪開催地の座をソウルに奪われている。直接対決したわけではないが、カルガリーと愛知は、このときから因縁で結ばれていた。クリストファーさんも、それは強く意識していたようだ。

「オリンピックで、カルガリーの反対派は負けた。アイチの反対派は、オリンピックでは勝った。だから今度の勝負だけは負けられなかったのさ……」

 一時は万博開催が確実視されたカルガリーが土壇場で逆転できたのは、ある日本人の助けがあったからだ。

「こんにちは。こんにちは。にしのくにから……」

 和服姿の助っ人の歌声が総会の会場に響いた瞬間、年輩のBIE首脳たちの心には、若かりしころ訪れた日本の美しい思い出が鮮明によみがえった。

「こんにちは。こんにちは。ひがしのくにから……」

 たとえ「お客様は、神様です」という殺し文句がなかったとしても、勝敗はこの時点ではっきりしていたと、BIF関係者の一人は証言する。

 愛知県の反対派市民グループに、油断があったとの見方もある。オリンピック誘致失敗、サッカーW杯会場からの選考漏れ(豊田市)という二つの輝かしい実績のため、「いつのまにかカルガリーが選ばれると信じきっていた」と、泉さんも悔やんでいる。

 しかし、これで泉さんたちの反対運動が終わるわけではない。

「また中部地方でなにか大きなイベントが計画されたら、そのときは絶対に失敗させてみせますよ」

 泉さんは、次の「獲物」の出現を今から心待ちにしているように見えた。

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