ランニング・ジョニー

 ジョニーは、アポイント通り、朝5時半に私の家のベルを押した。

「やあ、はじめまして。ぼくがジョニーだよ」

 身長180センチはありそうな、この中年の白人は、私が予想していたよりもはるかに日本語が上手だった。

「ど、どうも、よろしくおねがいします」

「こちらこそ。で、早速だけど、始めようか」

「はい」

 軽い準備運動のあと、私たちは出発した。海岸沿いの道を走り、丘を一つ越えて、隣り街の市役所前までの42.195キロ。すこし肌寒いが、ランナーにとってはこれくらいがちょうど良い。

 ジョニーは英語で簡単な自己紹介から始めた。どうやらニューヨークで生まれ、ロサンゼルスで育ったらしいが、肝心なことはよくわからなかった。

“Do you understand?”

と聞かれ、私はうつむき加減で走りながら、首を横に振った。

“Never mind.”

ジョニーは私をなぐさめてくれているのだろう。それくらいはわかる。

 10キロ地点を過ぎたころ、ジョニーの言葉がなんとなく分かりはじめた。ジョニーの趣味は走ること。どうやら、ボストンマラソンにも出場したことがあるらしい。最高のタイムは2時間20分。「素人」ランナーのスピードではない。でなければ、しゃべり続けながら40キロ以上も走れるわけがない。

 20キロを過ぎたあたりから、話題が少しずつ複雑になる。UCLAに学び、教育学の修士号を取得したこと、日本には3年前にやってきたこと、共和党を支持していること、などなど。湾岸戦争には反対で、野球はドジャースのファン。寿司はアメリカでもよく食べたようだ。ときおり、簡単なアメリカン・ジョークも混ぜてくれるから、私も気分が楽になり、いつもよりピッチが上がる。

 30キロの上り坂にさしかかってから、再び意味不明な部分が増えはじめた。教科書に載っていない複合語がたくさん出てくるためだろうか。ジョニーが話すのは現地の生活と密着した生の英語。教科書で読む英語とはやはり違う。急に自信がなくなり、走るほうも辛くなる。負けちゃだめだ、と自分に言い聞かせて懸命に走り続ける。

 35キロ付近の下り坂から、また意味が理解できるようになった。明日からでも単身ニューヨークで暮らせそうな気がしてきた。残り2キロのラストスパートにあわせて、ジョニーの言葉も早口になるが、無理なくついていける。

 そしてゴール。タイムは2時間39分。2時間40分を切ったのはこれが初めてだ。TOEICの点数も大幅にアップするに違いない。

「どうだったかな?」

 ジョニーが汗をぬぐいながら、再び日本語で私に尋ねた。

「いやぁ、こんなに英語が聞き取れるようになるなんて……。すごいですね、ヒアリングマラソンって」

「そう言ってくれると、ぼくも嬉しいよ。これからも英語の勉強、がんばってね。じゃあ、これで」

 足早に走り去っていくジョニーの後ろ姿を見ながら、私は決意した。

 いますぐ、タイムリーディングマラソンに申し込もうと。

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